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国宝彦根城天守は北西に附櫓(つけやぐら)が、さらに長い多聞櫓が連なります。また、破風は変化の妙に富んでいます。天守一層目の軒に並ぶ八つの「へ」の字形の切妻破風は、それぞれの大きさと奥行きに変化をもたせ、二層目は、南北を切妻破風、東西を入母屋破風とし、南北にが唐破風が設けられています。この切妻破風、入母屋破風、唐破風を組み合わせた類い希な美しさは見逃せません。
表門から坂を上がって行くと廊下橋(非常時には落とし橋となる)が見えます。この橋を中央として左右対称に建てられているのが天秤櫓です。まるで天秤のような形をしているところから天秤櫓と呼ばれています。日本の城郭でこの形式のものは彦根城だけです。
城の北東にある大名庭園で、琵琶湖や中国の瀟湘(しょうしょう)八景にちなんで選ばれた近江八景を模してつくられました。4代藩主直興により延宝5年(1677年)に造営されました。毎年9月中「虫の音を聞く会」が催され、大名庭園ならではの趣が味わえます。
欅御殿は藩主の下屋敷で、玄宮楽々園の名で国の名勝に指定されています。四代藩主直興が延宝5(1677)年に造営。大書院、地震の間、雷の間、楽々の間など、工夫を凝らした部屋が残っています。 ※参考 - 楽々園の名は「山を楽しみ水を楽しむ」「民の楽しみを楽しむ」という心からと言われています。12代藩主直亮が文化年間(1804-1817年)に佐和山や内湖が見える楽々之間を造ってから槻御殿という正式名より、楽々の名が有名になりました。
天保13年(1842)に彦根藩12代藩主井伊直亮が、井伊家の始祖井伊共保の750回忌にあたり、井伊谷(現静岡県)八幡宮から井伊大明神を分霊して神像を造り、龍潭寺の参道脇に祀ったのがはじめとされます。また、彦根藩初代藩主直政・彦根藩2代藩主直孝も祀られています。
元和3年、井伊直孝の建立による禅僧の研修道場で多数の造園学僧を生みだしている。 方丈南庭は「ふだらくの庭」として知られ、本堂には芭門十哲のひとり森川許六の襖絵がある。その他に書院東庭や茶室などがある。
石田三成が五層の天守を持つ、立派な城を構えていたといわれる佐和山。関ヶ原の戦いで敗れた後、彦根城築城にともない廃城となりました。現在は、石垣等の僅かな遺構が残るのみとなっています。
この池に湧き出る水は、すでに 元禄年間に「湖東三名水の一つ」として知られていました(他は五個荘清水ヶ鼻の水、醒井の水)。 その昔、遠い村に嫁いだ娘の母乳の出が悪く、故郷の十王村のこの水を汲んできてもらい飲んだところ、たちどころにお乳の出が良くなり、そのおかげで赤ん坊はすくすくと育ったといいます。 今も地蔵は、母乳の神様として親しまれています。